わたしたちはどこから来て どこへ行くのでしょう。
生きるとはどういうことでしょう。
死とは何でしょう。
生きるとは、まず自分を信じること。
自分と愛する者を信じること。
それだけが確かなことで、他人の説や既成観念に縛られないこと
自分を見つめ、自分とは何か、知ること。
自分はどこから来て、何処へ行くのか。
仏とは自分のこと。
自分が自分の仏なのだ。
その外には仏はいない。
自分が自分に目覚めて、自分を愛することから、始まるのではないか。
私たちは、仕事をなし終えて死ぬけれど、永遠の命の中につながれています。
それは、人間もすべての生き物も、あるいは非生物・物もみんな同じ。
生命・文化をつなげていくことで、大いなる「いのち」の中に生かされているのです。
ですから、個体としてはなくなるけれど、それは、永遠の命の中に生きているのです。
いのち(お題目)を受け継ぎ伝えていく。
肩の力を抜いて、日々淡々としながらも決して絶えることのない川のように、
氷が解けて春になり、梅雨が明けて夏が来る。
秋晴れのススキの草原に出かけ、一面銀世界の朝に身震いする。
そんな「野原ノ松ノ林ノ陰ノ小サナ萱ブキの小屋ニイテ」
(宮沢賢治著『雨ニモマケズ』手帳より)
、この信念の源泉・南無妙法蓮華経を広めて頂きたいと思う。
時として、お祖師っさんが仰るように
「ただ女房と酒うちのみて、南無妙法蓮華経ととなえ給え。
苦をば苦とさとり、楽をば楽とひらき、苦楽ともに思い合せて、
南無妙法蓮華経とうちとなえい(居)させ給え。」
という此の心を忘れずに。
[いのちのつぶやき」